竹崎観世音寺修正会鬼祭(たけざきかんぜおんじしゅしょうえおにまつり)
国指定重要無形文化財
この祭りの起源はさだかではありませんが、「肥前国古蹟縁起」には次のように記されています。
『白布の袋に人を入れ、口をくくり、鬼面をかけさせ、拝殿におどり出でれば、人々首に縄を付けてあたりを引廻す。在所のわらベども、竹の枝なんど面々に持ちて、此鬼面を打たたく。彼の鬼どのは飛びあるき、「とうとやありがたや、昔の掟絶やせずめでたやめでたや、珍重々々」と声を上ぐれば、集まったる者共は、拍手を打て、さ田さ田の拍手をして、此鬼を引つけ侍る。実におかしき祭也。』
この地に残る伝説に、竹崎の東端にある夜灯鼻(やとうばな)の沖に住む鬼と、観音堂の箱の中に納められている鬼の2匹の夫婦鬼が、1月5日の晩に互いに呼び合い、再会すると竹崎島が転覆するというものがあります。この祭りは、この2匹の鬼が出会うのを阻止するため、褌姿の青年たちが真冬の竹崎観世音寺を舞台に繰り広げる精悍な祭りです。
祭りの主役は青年組で、独身青年は海に入って身を清め、祭りの期間は青年宿に集い、その間の生活には細かい規律が定められています。また、祭りにはそれぞれの役を持った青年や壮年たちの行列や、童子舞(佐賀県重要無形文化財)等があります。
特に青年の中から選ばれた4人の鬼副(おにぞえ)が、鬼面を納めてある鬼箱を持って観音堂から走り出ると、待機していた大勢の裸の青年たちが一斉に喚声をあげて、鬼箱めがけて突進してもみ合い、鬼箱の脱出を阻止。この時、鉦、太鼓、法螺貝の音が響き渡って、祭りは最高潮に達します。激しい攻防の末、鬼箱は観音堂に再び封じ込められ、元の場所に安置されます。
別名「裸祭り」ともいわれるこの祭りは、遠く南北朝時代までさかのぼることができる非常に古い形式を色濃く残す祭りで、毎年、1月2~3日にかけて行われています。