太良町の文化財(たらちょうのぶんかざい)
【竹崎観世音寺修正会鬼祭り】(たけざきかんぜおんじしゅしょうえおにまつり)
毎年1月上旬(じょうじゅん)に行われる国の重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)に指定されているお祭りです。鬼祭(おにまつり)や裸祭(はだかまつり)ともよばれています。
カシのぼうを束ねて境内(けいだい)に打ち付ける「大聖打ち切り」や県の重要無形文化財(じゅうようむけいぶんかざい)に指定されている「童子舞」(どうじまい)も祭りの中でえんじられ、昨年の罪(つみ)をざんげするとともに新年の五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを願うお祭りです。
こおりつくような寒さの中、白い息をはきながらはだかの男達が走り回るすがたは勇壮(ゆうかん)そのものです。
【童子舞】(どうじまい)
観世音寺修正会(かんぜおんじしゅしょうえ)で、男児2名によってえんじられます。
舞(まい)の中で童子は、だき上げられて堂から下り、舞(まい)が終わればまただき上げられて堂内にもどります。地に足を着かせない行為(こうい)は、堂内は霊界(れいかい)であり童子は聖なる霊体(せいなるれいたい)としてあつかわれていることを表し、その聖なる霊体(せいなるれいたい)の出現(しゅつげん)を演出(えんしゅつ)しているものと考えられています。
童子舞(どうじまい)には、四股踏み(しこふみ)、足踏み(あしぶみ)、膝つき(ひざつき)など古呪禁(こじゅごん)の法を表現(ひょうげん)するような動作が見られます。これは、この舞(まい)がとてもに古い祭りの形式を今に残していることを表しています。
佐賀県指定重要無形文化財(さがけんじゅうようむけいぶんかざい)に指定されています。
【竹崎観音石造三重塔】(たけざきかんのんいしづくりさんじゅうとう)
鎌倉時代中期(かまくらじだいちゅうき)に建てられたもので佐賀県重要文化財(さがけんじゅうようぶんかざい)に指定されています。
凝灰岩(ぎょうかいがん)を材料として作られており、高さ2.2メートルで別石を三層(さんそう)重ねてつくられています。作風、造形(ぞうけい)の美しさや技術(ぎじゅつ)の精巧(せいこう)さが目を引き当時の石造美術(せきぞうびじゅつ)の水準(すいじゅん)の高さがうかがえます。
【夜灯鼻灯台跡】(やとうばなとうだいあと)
竹崎島(たけざきじま)は有明海につき出た地形で、昔から有明海の交通の要所でしたが、海難事故(かいなんじこ)の多い場所でした。
江戸時代(えどじだい)の寛延(かんえん)年間(1748~1750)に諫早藩(いさはやはん)の早田番左衛門(ばんざえもん)がこの地に灯台をつくりました。しかし、文政(ぶんせい)11年(1828)の台風でこわれてしまいました。その後、番左衛門(ばんざえもん)の子孫にあたる市右衛門(いちえもん)がせんぞのいしをつぎ、明治2年にガラス鏡11面の洋式灯台をつくりました。
げんざい、この灯台はありませんが、跡地(あとち)に佐賀藩(さがはん)の国学副教授武富い南(こくがくふくきょうじゅたけどみいなん)の筆による「照海灯の碑」(しょうかいとうのひ)がたてられており、早田市右衛門(いちえもん)の功をたたえています。
町指定重要文化財(ちょうしていじゅうようぶんかざい)に指定されています。
【役の行者座像】(えんのぎょうじゃざぞう)
多良岳(たらだけ)山中にまつられている太良嶽神社(たらだけじんじゃ)の石の鳥居(とりい)のかたわらに鎮座(ちんざ)しています。役の行者は修験道の開祖(しゅげんどうのかいそ)としてあがめられており、この石像(せきぞう)は当時多良岳(たらだけ)が修験道(しゅげんどう)の霊地(れいち)として信仰(しんこう)されていたことを物語っています。町指定重要文化財(ちょうしていじゅうようぶんかざい)に指定されています。
【六体地蔵菩薩立像】(ろくたいじぞうぼさつりつぞう)
多良岳(たらだけ)の太良嶽神社(たらだけじんじゃ)上宮入り口の鳥居(とりい)から、一の宮に行くとちゅうの切り立った岩壁(がんぺき)の下に並んだ6体の地蔵尊(じぞうそん)です。6体はそれぞれ、天上道(如意(にょい)を持つ地蔵(じぞう))、人間道(柄香炉(えこうろ)を持つ地蔵(じぞう))、修羅道(香炉(こうろ)を持つ地蔵(じぞう))、畜生道(ちくしょうどう)(合掌(がっしょう)している地蔵(じぞう))、 餓鬼道(がきどう)(明鉢を持つ地蔵(じぞう))、地獄道(じごくどう)(左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持つ地蔵(じぞう))をそれぞれ救済(きゅうさい)する地蔵(じぞう)として安置されています。
【土師壷棺】(はじつぼかん)
昭和39年1月、太良町栄町の畑から出土しました。
子どもを埋葬(まいそう)するためのあわせ口壷棺(くちつぼかん)です。全高65.8cm、最大部胴径(どうけい)54.4cm、口縁部径(くうえんぶけい)31.8cmで、ふたはつぼ型で高さ34cm、最大部胴径(どうけい)42cm、口縁部径(くうえんぶけい)36cm。
口縁部(くうえんぶ)に立ち上がりのある二重口縁土器(にじゅうくうえんどき)は山陰地方(さんいんちほう)を中心とした中国地方に多い土器ですが、埋葬用(まいそうよう)としてこのように大きく作られたものはめずらしい部類に入ります。はそんが少なく、ふたとつぼが一体となって出土しました。4世紀ころのものと考えられます。町指定重要文化財(ちょうしていじゅうようぶんかざい)に指定されています。
【石造六地蔵】(せきぞうろくじぞう)
竹崎観世音寺(たけざきかんぜおんじ)正面参道のとちゅうに建つ東西1対の地蔵塔(じぞうとう)です。
この六地蔵(ろくじぞう)は、室町時代の大永(だいえい)五年(1525)に六右衛門(ろくえもん)という人物が栄観のために現世安穏(げんせあんのん)と後生善処(ごしょうぜんしょ)を願ってつくったと石碑(せきひ)にきざまれています。